J-Plus Interview 2009.1.1号
今の自分に甘んじてしまったらそこでダメになる。
身体にも気持ちにも徹底的な負荷をかけて、
その先にあるものをつかみたい。
書家・アーティスト 柿沼康二さん
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心の深いところを揺さぶる 力強さに満ち溢れた作品
ロックミュージックを流しながらのパフォーマンス、独特の作風や技法など、常に「今までにはないもの」を作り上げてきた柿沼康二さん。その作品は「カキヌマアート」と称され、見る人の心の深いところを揺さぶるような力強さに満ちている。
「書」と聞くと、硯と紙に対峙して静の中で作品が生み出されていくイメージが浮かびがちだが、柿沼さんの作品はそれとは大きく異なる。畳何十畳といった大きな紙にバケツに入った墨と特性巨大筆を用いて全身で描き出す「超大作」をはじめ、同じ言葉を何回も繰り返し連ね、そこに新しい意味を作り出していく「トランスワーク」等、一見ではそれが字であるのか、絵であるのかの境が明確でないものが多いが、一度目にすれば作品全体から発せられる力に引き込まれ、決して目を逸らすことのできない不思議な魅力に取り付かれる。
柿沼さんが作品を生み出す前に必ず行うのが「己の身体に負荷を徹底的に与えること」。制作前にランニングを行うことも多いというが、特に雨の日には走りたい衝動が増してくるといい、雷すら「自分の上に落ちてこないか」と考えることもある。自分を奮い起こして高め、身体を痛めつけて、その先にあるものを見出す。この根源にあるのは「能力以上のものを引き出し、それを作品として形にしたい」という思いにほかならない。
柿沼さんが始めて筆を手にしたのは3歳のころ。書家である父柿沼翠流氏の影響だった。もともとは体育教師だった翠流氏は、昭和の三筆と称された書家・手島右卿氏に弟子入り後、教職を辞し書家としてのみ生きることを選択。一心に書と対峙していた。この父の姿を目にしながら成長していった柿沼さんだが、高校入学の頃はロックバンドを組んだり、サッカーに打ち込んだりと、書をたしなみつつも、書家になるという強い意気込みはまだ芽生えていなかった。そこに大きな転機を与えるきっかけとなったのが、「男は日本一になれる可能性のあるものを仕事に選べ」という父の一言だったという。
「当時サッカーは好きでやっていたけれど、漠然とこれで飯は食っていけないだろうな、と感じていました。そこにこの一言です。自分の持っているもので日本一になれる可能性のあるもの。考えた結果、行き着いたのが書でした」
それを父に話すと「お前が本気なら」と紹介されたのが父の師であった手島氏。晩年の手島氏は一切弟子を取っていなかったが、話を一通り聴き終わると「次からは何か書いて持ってこい」と柿沼さんに告げる。非常に抽象的な言葉ではあったが、これこそが「弟子入りを許可」されたというサイン。ここから柿沼さんの書家としての本格的なスタートが切られることになった。
手島氏に入門してからは1ヶ月に一度、手島邸に通い、半紙2枚8文字の臨書(りんしょ)を提出する。それに手島氏は「ちょろちょろっと赤を入れるだけ」。この少ない文字に全身全霊をかけて書き上げるという、まさにプロ中のプロの世界。この一連の僅かな作業を通して「以心伝心で学び」、師からメッセージを受け取っていく中で、何かが柿沼さんの心の琴線に大きく触れる。「10代の頃は過剰な情熱があって、それを色々なところにぶつけていたんですね。そして何も見えていない状態でした。それをどうしていったらいいのか、手島先生について学ぶことでその先が見えてきました」
結果、東京学芸大学教育学部芸術科書道専攻・芸術科養成コースに進学。ここでは芸術理論などを学ぶが、「ここには一流の講師も一流の講義もある。しかしこれだけでは超一流とは戦えない」、そう考えた柿沼さんは、土日も休むことなく書の稽古を積み、1日15時間書き続けた。手島氏の他界後に師事した上松一条氏が柿沼さんに教えたのが、「質より量。1枚でも多く書いた者が最後には勝つ」。24時間365日常に「書」を考え、持てるだけ筆を持ち、喜怒哀楽も体調も全て、書き手の全人格が作品に投影されてこそ、文字の背景にある物語が表現できることなのだと。経験から得られる書のあり方とは何か。柿沼さんは身をもってこれを会得していったといえるだろう。
日々の瞬間のほんの少しだけの差 この違いが大きな違いに繋がる
柿沼さんのこの地道な努力は、脅威的な速さで大きな成果として花開く。新人書家の登竜門といわれる毎日書道展の毎日賞。柿沼さんがこの賞を受賞したのは25歳のとき。27歳のときには財団法人独立書人団の審査会員に推挙されるなど、30歳を前にして名実ともにプロの書家としての地位を築き上げるが、「そこに甘んじたら後退してしまう」と柿沼さん。そのあくなき姿勢こそが、作品の発するエネルギーの源なのかもしれない。
柿沼さんの作品に共通して言えるのは、いずれの作品も平面でありながら「3次元に見える」独特の構図。これは高い技術によるところが大きい。「真のアーティストである以上、作品に命を宿せるかが大きなポイント。打算的に自分でスタート、ゴールを設定したのではアーティストとしての作品は生み出せない。大衆にわかるようなものばかりを作るようになったら、あっという間に消えてなくなってしまうのです」
柿沼さんがこうした思いにいたった背景には、実は書が日本の中で置かれてきた歴史も大きく関係している。これまで日本社会の中で、書は非常に曖昧な位置付けをされてきた。「音楽や絵はアートだけれども、書は違うと言われる。東京芸大に書道科がないのもその一つの表れで、アーティストを養成するための視察を外国で行うといった場合も、書はそのカテゴリーの中に入れられてこなかったんですね。では書とはなんなのか、その曖昧さを払拭したいと活動してきましたが、その概念そのものを覆すのは難しいのです」
であれば、と行き着いたのが「概念云々を言う前に、自分がアーティストであり、その作品がアートであればいいのではないか」という想いだった。その情熱、衝動が柿沼さんの目を海外に向けさせる。
「この国を一度離れて俯瞰的な視点で書を見つめなおさないといけない、さもないと自分がダメになると思いました。そのとき思いついたのが、世界中のアーティストが集まるニューヨークという街。ここで生み出したのが独特のトランスワークという手法。そして、おまえは誰だという自分への問いかけに、自分は自分でしかないという揺るぎない自己の確立でした」
このニューヨークでの1年にわたる生活は、書家を越えたアーティストとしての部分を柿沼さんの中で大きく形成していくことになる。アメリカという国はオリジナルに価値を見出し、二番煎じ、三番煎じは「評価されないどころか、許されない」。誰が最初にそれを成し遂げたのか、そこに大きな評価が与えられる。まさに柿沼さん自身が追い求めてきたものがそこにはあったと言えるだろう。
「どこかで聴いた、どこかで見たことがあるではダメなんです。オリジナルとは、最初誰もがわからないものが出来上がるわけですが、それを楽しめるようになるには、それを受け入れるキャパシティが必要なんですね」
人々にすぐに理解されてしまうものとそうでないものとの差はどこから生まれるのか。「それはほんの少しの差。しかしちょっと違うことが大事なのです」と柿沼さん。ちょっと違うことを10年し続ければ、そこには大きな違いが生まれる。
25歳で一つの節目を迎えて以来走り続けてきた柿沼さんだからこそ知りうる「アートの本質」が、この言葉の向こうに垣間見えてくる。
一生認められないこともある それも覚悟の上のアーティスト
自身でも書き上げた作品が「書なのか、アートなのかわからなくなる」と語る柿沼さん。こうした発言や一連の製作過程は、ややもすれば前衛的な部分のみが特化し取り上げられがちだが、柿沼さんの書に対する姿勢に貫かれているのは、「基本に忠実であること」。これは決して変わることがない。
全ての作品の根底を支える日常では、歴史上の能筆家の古筆を徹底的に模写する「臨書」を日に5時間行う。これは師である手島氏が提唱した、古の型から新しい書を見出し追及しようとした「新古典主義」を受け継いだもの。新しいものを生み出す土壌とは、基本という素養が隅々にまで余すところなく行き届いたものからしか生み出されない。そして、基礎が一定の高みに達したとき、そこからこれまでにないものが生み出される。その身を持ってこれらを体現してきた柿沼さんが次に求めたものは、自分を超えること。日々、「1ミリでもいいから自分越えを」とあくなき挑戦は続いていく。
「自分が新しさを感じなくなったら、ダメになる。作品も生き方も、もっともっとわかりにくくしていかないといけない。目的が見えてしまったら、そこに追いついてしまうんです。もっともっと引き離していかないと」
しかし、「新しいもの」とは柿沼さん自身も語るように受け取る側に一定の度量の広さが求められるのは事実。ともすれば、自身の作品が時を経ても時代と大衆に受け入れられない可能性は否めない。柿沼さん自身もそれを十分熟知している。
「時代と大衆に認めてほしいという気持ちは誰しもありますし、私も持っています。いつか海外の美術館に自分の作品が収蔵されたらという夢もあります。だからといってそうならなくても、スタイルを変えることはありえない。なぜなら一生認められないこともあることをも覚悟できることが、真のアーティストだと私は思うからです」。
認められないことへの覚悟を持てるか否か。柿沼さんの作品から感じる不思議な魅力、その正体は作品に見て取れるこの「ゆるぎない覚悟」なのかも知れない。