ぷりんすとんの風#11
余裕感 多く教わる / 驚異的個の力 統括するNY
「一年間かけて、アメリカを臨書(歴史上の名筆を手本とし模倣する書の基本けいこ)してきた」という思いがある。十年前、少しは分かったつもりの米国であったが、この国の考え方や印象が今回の米国生活でことごとく変化した。日本の常識は米国の非常識、その逆も然り。異国にいるとそんなことをしばしば感じさせられる。
日本はほぼ単一民族国家だから、人々は「これが常識」「普通は・・・」などという、ある一定の価値観で左右される傾向が強い。しかし文化や思想、扱う言葉の違う多種の人間が入り交じる米国では「みんな違っていて良い」という個性を尊重する姿勢が基本となって、コミュニケーションやネゴシエーションの能力が発達してきた。思うことはきちんと言わないと理解されない、契約主義なところはあるが、その一方できちんと説明すれば理解してもらえる国でもある。
「この国は、組織ではなく、その人『個人』を強く評価しますよ。日本語がうまく話せるから日本でオーケーじゃないように、この国も英語が流ちょうに話せるから全て良いのではなく、あなたの積極性と誠意、日本人としての『優しさ』が大切なんです」。米国生活が長い友人のアドバイスである。
米国、特にニューヨーク(NY)のアートシーンは「NEW」を重んじる。歴史の浅い国だから新しいコンセプト、新しいアーティストを求めると言ってしまえば、この街は既に過去の産物になっていただろう。しかし人種のるつぼであるこの街には、おのずと世界中の脳みそ、成り上がり、生命力、未来の常識となる異端な精神が集い、驚異的な個の力、それらを認知し統括する底力がこの街にあるからこそ、常に世界の中心、世界の先端を維持し続けているのだ。そんな土壌とにおいに導かれ、世界の頂点を目指すすべてのアーティストはNYにたどりつく。
二度目のNY活動は、自分が知っていた街であったはずの街NYを新たに彩った。平和ボケした日本ではほぼ死語と化した「努力根性論」や、タフさ、知性、ONとOFFの切り替えが、この街で認められ生き抜くためには重要だと実感した。またONのときもOFFのときも、日本とは異なる緩やかな時間の流れを感じた。「そんなに詰め込んだらいざと言う時に力が出せないから、やりたくないことは断ってプライベートを確保してね」など、日本社会ではありえない余裕感を多く教わった。
(下野新聞2007年8月21日文化欄)