スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

author : スポンサードリンク| 2017.02.03 Friday | - | -
兵藤ゆきのおじゃましま〜ッす! 上品なアバンギャルド!(下)
兵藤ゆきのおじゃましま〜ッす!
上品なアバンギャルド!(下) 書家・アーティスト 柿沼 康二さん


 書家・アーティストの柿沼康二氏、去年の9月からプリンストン大学客員書家(特別研究員)として、ニュージャージー州プリンストンに暮らしている。今年のNHK大河ドラマの題字「風林火山」など、彼の作品はただいま注目の的。しかしそんな彼にも、人知れず壁にぶち当たり悩んだ時期もあったとか。

1997年、彼が27歳のとき新しい扉を開こうとアーティストのメッカ、ここニューヨーク(NY)にやって来た彼ではあったが、自分の存在の希薄さに愕然とし、しばしひきこもりに・・・・ で、どうやって、そこから脱出したんです? 

「実は、初めの3か月ほどは語学学校に行きながらアーティストである自分をとぼけていたんです。そしたら、語学学校のアメリカ人やフランス人の友だちが、カキはアーティストなのになんでアーティストとしての活動をしないんだ、って言うんです。それでやる気になって、自分の作品を持っていろんなギャラリーに売り込みにいったんですよ。
 そしたらすぐにMoMAの近くのギャラリーで、ぼくの展覧会をやってくれるという話になったんですけど、準備を進めていって最後の最後に、金銭的な折り合いが付かなくてだめになっちゃったんです。
 そこからもう、6、7か月は対人恐怖症、ひきこもりですよ。でもね、1年間って決めて来たわけで、もうそんなに時間がないとなったときに、このまま何も足跡を残さないというか、マーキングしないで帰るのもしゃくにさわる、って思えたんですね。そこからは精力的に動きましたよ。ソーホーのギャラリーに売り込みに行ったりね、でも英語もろくにしゃべれない日本人がなんなんだって態度をとられたり、そりゃあへこみそうになったりくじけそうにもなりましたけど、やっぱり敗北者として帰るのがいやだったんです。
 そうこうしているうちに、やっとアッーパーイーストにある日系のアートスペースで展覧会をやってくれることになりまして」

 よかったですねえーーーーー、

 「バカ売れはしなかったですけどね(笑)。でも、知らないアメリカ人のおばさんとか、日本人のおじさんとか、買ってくれましたよ」 それからは、毎年NYというか、アメリカへ? 「シカゴのギャラリーのグループ展に参加したり、ぼくが実際作品を書いているところを見たいっていうんで、メトロポリタン美術館でパフォーマンスをしたりとか、なんだかんだと年1、2回は来てますね」

 で、今回は約1年間の長期滞在と、プリンストン大学が受け入れてくださるもんねえ、

 「ありがたいですよねえ。それに丁度いい時期だったんです。また日本での活動に限界を感じて、27歳のときのように36歳も危ないなって思ってたときだったんでね。あのね、去年の9月にプリンストン大学に行ったときに、大学の人に、お前、いい奴だなあってほめられたんですよ」

 え、なんで?

 「プリンストン大学のマスコットがトラなんです。ぼくの髪の毛、トラヘアーでしょ」

 あー、まだら金髪男じゃなくて、トラ男ね、

 「(笑)そんなつもりじゃなかったんですけど、この髪でよかったかなって」

 バッチリでしたね。で、今回のNY生活で、アーティストとしての危機感からは脱しましたか?

 「なんかね、のどに詰まっていたものが5つくらい落ちたって感じですよ」

 それは、よござんした。

 さて、今後のカッキーが、っていつの間にかカッキーになってますが、目指すところはどこでしょう、

 「ぼくの書く字を、書を超越したニューアートの作品として認めてもらい、グッケンハイム、MoMA、メトロポリタン美術館に収蔵してもらう、これに尽きますっ!」

 おっ、語尾の強さに思いの強さがびんびん伝わってきます。 柿沼康二36歳、アーティストとしての戦いはまだまだ続くのであった。フレー、フレー、カッキー!

(週刊NY生活 No.154 2007年03月24日号)

※兵藤ゆき氏、およびニューヨーク生活プレス社(www.info-fresh.com/nyseikatsu)の了承をいただいた上で掲載しております。


author : kakiwebmaster| 2007.05.29 Tuesday 01:21 | - | -
兵藤ゆきのおじゃましま〜ッす! 上品なアバンギャルド!(上)
兵藤ゆきのおじゃましま〜ッす!
上品なアバンギャルド!(上) 書家・アーティスト 柿沼 康二さん


 マンハッタンのペン・ステーションからトレントン行きの電車に乗って1時間ほどでプリンストンに着いた。駅で書家の柿沼康二さんと待ち合わせなのだ。
 今年のNHK大河ドラマの題字「風林火山」や、オープニングで次々に現れる書の作品群で彼の名はいっきに日本全国に知れ渡ったが、去年の9月からプリンストン大学客員書家(特別研究員)として現在彼はここで暮らしているのだ。

 おっ、いたいた、まだら金髪の男こそ、まさしく柿沼康二氏だ。訪ねた日は大雪で、電車は10分ほど遅れたが、待っててくれたのね。こんにちわー、
 「いやいや、えらい日になっちゃいましたが、よくいらっしゃいました。ほんとはここから2両編成のチンチン電車に乗ってプリンストン大学まで行けるんですけど、あいにくの天候で運行してないのでタクシーで行きましょう」

 はい、了解でーす。

 柿沼さんは、1970年、栃木県矢板市に生まれた。父親の同じく書家、柿沼翠流さんのすすめで、5歳から書道を始めたが、子どもの頃はサッカー大好き少年でJリーガーに憧れていたり、音楽好きでロックバンドを組んでいたりして、書はさほど真剣には取り組んでいなかったのだそうだ。

 「そうなんですよね。でも、高校1年生のときに父が、父の師でもあり昭和の三筆といわれた手島右卿先生(1901年 〜 1987年)のところに僕を連れて行ってくれたんです。先生は僕をそばに座らせ、僕が書いた書を丁寧に全部添削してくださったんです。その間、緊張と感動のあまり僕の体はがたがた震えていました。そしたら先生が、君はまだ若いから今からやればわしを超えられる、って言ってくださったんです。それでもう、その先生の一言で、書を真剣にやろうと決心しちゃったんですねえ」

 すごいなあ、偉大な人の一声が人生を変えたわけだ。手島先生は康二少年の実力を見抜いていたんですね。10代から毎日書道展に連続8回、20代で書家の登竜門ともいえる毎日書道展毎日賞を2回受賞するなんて、先生の目は確かだった。

 「ありがたいですよね」

 大学は、東京学芸大学教育学部芸術科(書道専攻・芸術家養成コース)に行ったんですよね。

 「卒業してからは、母校の高校の書道の先生になったんですよ」

 これがまた、今までの書道の概念をくつがえすような、まず自分の好きな字を好きなように書き、書くことを楽しもうという精神で授業を進めていったら、生徒に大人気。NHKの「にんげんドキュメント」で授業の模様が紹介されたら、世間でも大人気者になっちゃった。

 「あらー?って感じでしたよねえ。そのまま高校の先生をやってる雰囲気じゃなくなったので、先生はやめてしまいました(笑)。それと僕の命題でもある、書をアーティストとしてやるためにも先生は捨てなきゃいけないって思ったんです。29歳のときでした」

 その前27歳のときに、1回ニューヨークに1年くらい来たことがあったんですって?

 「あの頃は、日本での活動に限界がきてしまってたんですねえ」

 あーんなにいっぱい賞をもらったのに?

 「こんな言い方をしたらいやらしく聞こえるかもしれませんけど、取れる賞を全部取ってみたら、寂しくなっちゃったんです。これからどうしよう、何を目標にしようって。この状況にあぐらをかいたら僕はこれ以上進めませんって言ってるようなものでしょ。上を求めて農耕民族ではなく狩猟民族的に、次の獲物を求めて新しい扉を開いていかないとって。で、アーティストのメッカでもあるニューヨークに行こうと。でもね、ニューヨークに来たら僕のことなんて誰も知らないわけですよ、僕の書はなんぼのもんじゃ、って感じですよね。それでひきこもりみたいにもなったりしたんですよ」

 えー、この、ただ今飛ぶ鳥を落とす勢いのまだら金髪男にそんな時代があったなんて・・・

 果たして彼はそこからどう脱出したのか、この続きはまた次回。(つづく)

(週刊NY生活 No.150 2007年02月24日号)
※兵藤ゆき氏、およびニューヨーク生活プレス社(www.info-fresh.com/nyseikatsu)の了承をいただいた上で掲載しております。
author : kakiwebmaster| 2007.05.29 Tuesday 01:15 | - | -
ぷりんすとんの風#8
ぷりんすとんの風#8
オフにメジャーリーグ観戦 国と文化の違いまざまざ


アメリカの長く厳しい冬が去ったようだ。つい先日まで灰色の冬景色だったのが、ほんの二週間でまぶしいほどの新緑でいっぱいになった。
フィラデルフィア美術館、国連国際学校、ペンシルベニア州リーハイ大学での大規模イベントと、三月上旬から四月下旬まで、びっしり予定されていた大仕事を無事終了させ、今期渡米後初めて心の底からオフを感じる事ができた。

五月五日の土曜日。私はヤンキースタジアムにいた。昨年八月、渡米翌日に観戦したヤンキース戦に続き、二度目のメジャーリーグ観戦だ。今回の相手はシアトルマリナーズ、イチロー対松井という好カードだった。

スタジアムに近づくほどに、帽子やシャツにヤンキースのロゴをつけたアグレッシブな人間が増えてくる。これは日本のお祭りにおける法被、永ちゃんのライブのタオル同様、ある一定の運命共同体としてのサインと象徴である。

日本の場合、ホームゲームであっても多かれ少なかれ相手チームのファンが球場に入り混じるものだが、今日は客席のほとんどが熱狂的なヤンキースファンで埋め尽くされていた。マリナースの帽子やシャツを着ていたり応援したりすると大変な事になりかねない。

試合開始直前に国歌が流れ始めると老若男女、売店のおばちゃんまで球場にいるすべての人が、帽子を取り胸に手を当てて斉唱を始める。これだけの多民族国家において、これだけイデオロギーを共有する国旗と国歌の底力には、毎回鳥肌の立つ思いがする。そんな国のナンバーワンスポーツであるメジャーリーグで堂々とプレーしている松井やイチロー、城島を見ると、日本人としての誇りを感じると共に、自分の小ささを嫌というほど思い知らされる。

ピーナツ売りのオヤジはヤンキースタジアム名物の一つ。「ピーナツ!」と客が叫ぶと何十メートルも先から客目がけて相当の球威とコントロールでピーナツ袋を投げつける。客はピタッと受け取り、五ドル紙幣を出し、まったく関係のない周りの観客を経由してピーナツオヤジまで、リレーを繰り返してお金を渡すのだ。

入手困難な最高席のチケットを取って私を誘ってくれた友人が言った。「私は、野球を見に来ているんじゃないんです。フィリーチーズステーキを食べビールを飲む。ピーナツを投げてもらい七、八回あたりに居眠りをする。この開放感と雰囲気を楽しむのが好きなんです」

パーフェクトゲームを展開していたチェン・ミン・ウォン投手が八回にホームランを打たれた後、スタンディングオベーションが起こった。それは、チェン投手の力投を労い「大丈夫大丈夫、気にするな」という意味であった。国と文化の違いをまざまざと感じさせられた瞬間だった。

(下野新聞2007年5月15日)
author : kakiwebmaster| 2007.05.24 Thursday 12:30 | - | -
ぷりんすとんの風#7
ぷりんすとんの風#7
ぶれ続けてこその表現者 / ひたすら「自分らしく・・・」と



 昨年末のプリンストン大学でのパフォーマンス終了後、墨を含むと五十キロに及ぶ筆を振り回すという極度の運動から肋骨が折れ、苦しみの中観客の残る会場を去った。人間の、そして日本人の魂の限界から生み出される生命力が私の作品の核である。そんな命がけのパフォーマンスの後には満面の笑みで”Thank you very much for coming!”と言う余力など残っている筈がない。しかしパフォーマンスの後、「最後に挨拶くらいした方がよかったのではないか」という観客の意見を聞いた。こちらに長く住む日本人だった。それは私の美観から遠ざかることを示唆する。人間から動物に回帰し、神と交信する。天と自然の一部と化した私がその祈りの直後、常態に戻り理性的な言動をとるのは無理に近い。作品が悪いとかならまだしも、「挨拶」があるかないかはゴールではない。

 「それができなければ真のアーティストではない」「見栄を張ってナンボの国、アメリカでは通用しない」などと言うのであれば、歴史上のアーティスト、ガンズやストーンズはどうだったのか。『普通』ではなかったはずだ。高校生の時に、来日したガンズのライブを見に行き、4曲歌って「ノリが悪いから今日はやめた」と言って会場から姿を消したガンズに心から感動してしまったのは私だけではなかった筈だ。

 始めは世の多数派からの誤解と中傷の的に違いなかった歴史上のアーティスト達。しかし彼らはそれにめげず常識と対峙し、世に二人といない自分だけの世界を真っ直ぐに貫き続け、遂には世をひざまずかせた。勇気と狂気、破壊と創造を繰り返し、一生をかけ、唯一無二の存在と表現で自分の名前の道を作り出した。

 今回の長期渡米は、「ぶれる」為と言っても過言ではない。人に教えて生計を立てる教員型徒弟制型書家しか存在しない書道業界に疑問を感じ、音楽や映画、ファインアートなどの一流の哲学を参考にしながら、六年かけて前人未踏のアーティスト型書家のスタイルを日本で確立した。そしていつしか何の矛盾も障害も無くなっていた。新しさを感じなくなってしまうのは、アーティストにとっての一番の危機。アーティストは常にぶれ続けることが必要なのだ。

 大河ドラマの題字を手がけ、これまで通りに日本にいれば更なる飛躍が期待されるこのタイミングに、私は現状維持を選ばずアメリカでの武者修行の道を選んだ。「普通」ではないだろう。

 今の私は、日本とアメリカの狭間でぶれまくっている。アメリカで日々障害や、言葉と文化の壁や、不調和音を感じながら、ただただ「自分らしく尖れ」「鏡は見るな」と心の中で叫んでいる。

(下野新聞2007年4月17日)
author : kakiwebmaster| 2007.05.24 Thursday 12:26 | - | -
柿沼康二
書家、アーティスト
Koji Kakinuma (c)Douglas Benedict
(c)Douglas Benedict
書家/アーティスト・柿沼康二の芸術観、書道について、アーティスト論、過去の日記などを集めたエッセー集。

柿沼康二(カキヌマコウジ)。書家・書道家・現代美術家。 1970年栃木県矢板市生まれ。5歳より筆を持ち、柿沼翠流(父)、手島右卿(昭和の三筆)、上松一條に師事。東京学芸大学教育学部芸術科(書道)卒業。2006-2007年、米国プリンストン大学客員書家を務める。 「書はアートたるか、己はアーティストたるか」の命題に挑戦し続け、伝統的な書の技術と前衛的な精神による独自のスタイルは、「書を現代アートまで昇華させた」と国内外で高い評価を得る。2013年、現代美術館において存命書家史上初の快挙となる個展を金沢21世紀美術館にて開催。2012年春の東久邇宮文化褒賞、第1回矢板市市民栄誉賞、第4回手島右卿賞。独立書展特選、独立書人団50周年記念賞(大作賞)、毎日書道展毎日賞(2回)等受賞歴多数。NHK大河ドラマ「風林火山」(2007)、北野武監督映画「アキレスと亀」、角川映画「最後の忠臣蔵」等の題字の他、「九州大学」「九州大学病院」名盤用作品等を揮毫。 NHK「トップランナー」「趣味Do楽 柿沼康二 オレ流 書の冒険」「ようこそ先輩課外授業」「スタジオパークからこんにちは(2回)、MBS「情熱大陸」、日テレ「心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU」、BOSE社TV-CM等に出演。 伝統書から特大筆によるダイナミックな超大作、トランスワークと称される新表現まで、そのパフォーマンス性は幅広く、これまでNYメトロポリタン美術館、ワシントンDCケネディセンター、フィラデルフィア美術館、ロンドン・カウンティーホール、KODO(鼓童)アースセレブレーションなど世界各地で披露され好評を博す。現在、柿沼事務所代表取締役社長兼所属書家。


=TOPICS=
柿沼康二の作品をまとめた初の本格作品集「柿沼康二 書」東洋経済新報社より好評発売中です。
→詳細を読む
=WEB SITE=
=BLOG=
=SHOP=
=COMPANY=


SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
モバイル
qrcode
LINKS