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author : スポンサードリンク| 2017.02.03 Friday | - | -
ぷりんすとんの風#6
ぷりんすとんの風#6
ロッキーばりの不屈さ / 発想の転換でイベント乗り切る


 今回の仕事は、全米五大美術館の一つフィラデルフィア美術館。映画「ロッキー」で、主人公ロッキーがマラソンのあとでガッツポーズをとるシーンでおなじみだ。人気イベント「アート・アフター5」の日本特集回で、琴と書の異色コラボレーションが企画された。会場の床を汚せないこと、展示のための装置がないことをふまえ、四曲屏風(びょうぶ)を使用した演出を考え出した。

 しかし、四曲屏風は非常に高価で、輸送にも困難が伴うため、この地でイミテーションの屏風を制作することにした。これも半年のアメリカ生活がもたらした私の処世術なのだろう。制作方法と詳細は極秘とする。屏風はこれからの海外活動を間違いなく革新するツールとなるだろう。また、今まで考えてもみなかった新しい表現がたくさん可能となった。「普通は…」と決め付けずに、何でもやってみるものだとあらためて思った。

 …と、ここまではよかった。当日、友人I家のお手伝いを得て、夫妻と子供二人と私、車二台でフィラに向かった。途中、衣装用の靴を忘れたことに気が付いた。昼食のため韓国料理屋に立ち寄った時、ふと「侍にとっての刀は書家なら…」と、筆が荷物に入っていることを確認した直後、「ああああ、墨!昨日手磨(す)りしておいた墨を忘れた〜!」。

 私はニヤニヤしていたが、I夫妻のあぜんとした顔を見て、事の深刻さを実感し始めた。八歳のRちゃんから「パフォーマンスするのに墨を忘れてどうすんのよ。先生、お仕事できないでしょ〜!」と言われ一瞬凹(へこ)んだ。「待てよ、確か硯(すずり)と固形墨を持参したから今から磨れば間に合うよ」と店内で墨磨りを始めたら、今度は奥歯の大きな銀歯が外れた。

 昼食中、そして車内でも墨磨りを続けた。会場に着いてからはRちゃんに開始時刻ギリギリまで墨磨りを手伝ってもらい、一回目のステージ。二時間かけて磨った墨がほとんどなくなってしまった。三十分後に始まる次のステージに使う墨をどうするか…。その時主催者の一人、日米協会のチューニーさんから「あなたの朱墨作品は大好きよ」と言われピンと来た。完全に発想を変え、朱墨による表現にしてしまおう。その結果、一回目よりはるかに観客の反応が良かったのだ。

 毎回、イベントの後は、ハプニング話だけで朝までお酒を飲んでいた気がする。今回は特に酒の肴(さかな)に困ることはなかった。

 (下野新聞2007年3月20日)
author : kakiwebmaster| 2007.04.14 Saturday 21:52 | - | -
アメリカでの新たな創造
プリンストン大学でのパフォーマンス 
渡米後一カ月が経った10月頃、「柿沼のパフォーマンスを見てみたい」という意見をたくさんの人から頂戴した。東洋学部長のデイビット・ハウエル教授に相談したところ、ご挨拶代わりに大筆を振るおうかという気になった。気温に左右されやすい墨の性質を考えると、出来るだけ寒くならないうちに開催し、多くの人たちに私の本業を見せ、記憶に焼き付けておきたいと思い始めた。しかし日本と同じことを、ここでやっても意味がない。米国、特にプリンストンにいるからできる最大限のアイデアを捻り出し、私独自のスタイルで何か新たな創造に挑戦してみたかった。

2006年秋、米国で私が生み出そうとした新たな世界観。それは四×五メートルの大きさの、プリンストン大学のバナーを3枚制作するということだった。バナーには光沢のある、大学カラーのオレンジ色の布を使用。大学のマスコット・虎をモチーフに「虎」の象形、行書、草書の3連発、或いは、真ん中にPrinceton Universityの頭文字「P」、両サイドに2種類の虎を書き分けるかの何れか。どちらにするかは当日のその瞬間まで決めないことにした。

パフォーマンスの準備と苦悩
布の大きさの関係で、横二十メートル、縦六メートル、観覧スペースも考えるとそれ以上の大きさの会場が必要になった。しかもライブ性とリアリティーを強調する、天候までを含めた野外でのパフォーマンスに拘った。会場は大学の心臓部の一つ、フリストキャンパスセンター裏の広場に決まった。その後雨天順延を避けるために雨天時の屋内会場も確保した方がよいと思い、東洋学部マネージャーのキャロルに苦労の末確保してもらった。
それを知った友人のブライアンは「そんなに無理しないで最初から室内でやればいいんじゃない」と言った。しかしそれじゃ私の中で何も変わらないのだ。雨天時の会場は押さえたものの、当然雨天を望むわけはない。野外でやる、即ちお天道様の下でやること。雨が降ったらそれはお天道様の涙か怒りか、天と地と人が毎日何千年も繰り広げてきた不思議な営み、アクシデントあってのイベントそして、リアリティーなのだ。私は、一瞬だけ自然を感じ動物に戻りたかったのかもしれない。私は、毎日「雨天の準備はするが、絶対に晴れるよ」と根拠の無い自信を持っていた。

これまで数々のパフォーマンスをこなしてきたが、今回ほど苦労とストレスを伴い、時間を要したものはない。天候の他に、経費、内容、物品調達、演出上不可欠なミュージシャンとのコラボレーションなど、パフォーマンスをするために準備しなければならないことが幾つもあり、英語でのやりとりや、文化の違いに苦しみながらも、それら一つ一つを自分一人の力で解決していかなければならなかった。物品調達も大変だった。文房四宝などの必需品は、普段使い慣れたものを他国で手に入れることは困難なため、輸送代がかかっても空輸した。その他の物品、例えば普通のガムテープでさえ、日本と同じものを現地で探し出すのに苦労し、見つからなければ代用品を必死で探した。一番苦労したのはバナー生地の調達だった。幾つもの生地に試し書きをして選定し、大量の布を自分で注文して取り寄せた。次に仕立て屋に電話し「四×五メートルの布を作り、後で吊るして展示できるよう布の上部に棒を通す輪布を縫いつけてほしい」と説明をすると「できません」と次々に断られた。こちらの依頼が面倒なものだったのか、作り上げる技術がなかったのであろう。アメリカではその辺実にシンプルに「YES」「NO」を言ってくる。諦めずに何軒も問い合わせ、とうとう韓国人のジェイという職人がやってもいいと言った。彼とは何回も打ち合わせをして作業を進めてもらったが、この職人の作業と心遣いは本当に素晴らしかった。望み通りのバナーが縫いあがったのは、布の選定をしてから1ヶ月以上もあと、パフォーマンスの1週間前だった。

そして当日
パフォーマンス当日の十二月九日。晴天ながら摂氏〇度に近い朝を迎えた。墨にとって最適な温度は摂氏約20度強と言われている。水を媒介にし、炭素と膠とブラウン運動を起こし拡散していく上で最も理想的な温度だ。冬のアメリカの風は冷たく厳しいため、墨がそれ自体の性質を失うことを心で心配しながら、スタッフとともに会場の準備を始めた。下敷き代わりの黒のフェルトを広場に敷き詰め、その上にバナー生地を広げて固定した。私もスタッフも初めてのことばかりでどんどん時間が過ぎていく。気がつけばスタッフ全員でシミュレーション一つできてないというのに観客が大勢集まっていた。墨の状態を心配するどころの話ではなくなっていた。「ギャラリーを待たせることはできない、もうやるしかない」と判断し、予定より十分遅れて、ライブパフォーマンスが始まった。

友人の渡辺薫氏(元KODOメンバー)とアシスタント・パーカッショニストのトリヤマ氏が笛や太鼓を演奏する中、ステージの端にバナーとは別のオレンジの布を広げ、「虎」「とら」「トラ」「Tyger」などの文字を書き連ねていった。私のオリジナリティの一つ、トランス書のパフォーマンスだ。書き終わるとステージの下手側に脚立を組み立てて、そこにトランス書の布を巻きつけ、舞台全体を支える「柱」に仕立てた。神妙に特大筆の準備をし、準備ができた途端ステージから走り去った。ランニングは私が制作に臨む前にいつも行う「儀式」だ。走ることで雑念を取り除き、テンションを上げて戦いに臨むのだ。しかし多くの観衆はそんなことなど全く知らない。後で新聞記事を読んだところ、観衆の一人は私が何か忘れ物をしたのか、あるいは恥ずかしくなって逃げ出したのか、とでも思ったようだ。

ランニングを終え、再びステージに戻った。観衆をかき分け、靴を脱いで真ん中のバナーの上に膝をつき、何度も何度も空書した。空を見上げ、地球と、自分を感じた。一礼のあと、筆をしっかりと握りしめ、毛の一本一本に神経を尖らせ、可能な限り墨を含ませた。ずっしりとした筆の重みが腕に伝わってくる。笛と太鼓の音楽がクライマックスを迎えたと同時に、唸り声をあげながらど真ん中に「P」を叩き込んだ。すかさず左側に移り、二発目行書の「虎」の頭の部分に一撃を加えた。空海の筆致を思わせる重厚感のあるハネに続いて、鋭く切れ味のいい最後の斜角を描いた。反対側10m先に位置する三枚目に移動しようとした時、あまりにも重い筆と極度の運動の為、記憶が飛びそうになった。その時「押忍!」と気合を入れる空手の仲間達を思い出した。「押忍」と自分に気合を入れ直し、三枚目に向かって走った。象形文字による「虎」の制作でとどめを刺し、筆を置いた瞬間に地に倒れた。

打ち合わせもほとんどないままスタートしたパフォーマンスであったが、まるで一つの生命体のように呼応しあうスタッフの息吹を背中で感じながら、私はただただ日本人として、文字を言霊にするべく自分自身と徹底的に向き合った。

ほんの五分、その刹那の中で様々な事象が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。

他界した母、父、日の丸、命、息・・・。

その中で、ほんの一瞬だけ自由を感じた気がする。

私が本当の私自身をとらえた瞬間だった。

冬の野外イベントにも関わらず、観客数は三百とも四百とも言われた。タイトな準備を想定内とし、必死で付き合ってくれた会場設置、撮影、バケツ持ちなどのスタッフの爽やかな笑顔が忘れられない。イベントの様子は、プリンストン関係新聞二紙のトップ、及び大学HPのトップページを飾り、大学関係者を驚かせた。作品は正月からフリストキャンパスセンターの正面に展示され、今後大学付属美術館に収蔵される動きだ。大成功の代償に私の肋骨にはヒビが入り、一週間寝込んだ。

(日本書法2007年4月号)
author : kakiwebmaster| 2007.04.14 Saturday 21:49 | - | -
柿沼康二
書家、アーティスト
Koji Kakinuma (c)Douglas Benedict
(c)Douglas Benedict
書家/アーティスト・柿沼康二の芸術観、書道について、アーティスト論、過去の日記などを集めたエッセー集。

柿沼康二(カキヌマコウジ)。書家・書道家・現代美術家。 1970年栃木県矢板市生まれ。5歳より筆を持ち、柿沼翠流(父)、手島右卿(昭和の三筆)、上松一條に師事。東京学芸大学教育学部芸術科(書道)卒業。2006-2007年、米国プリンストン大学客員書家を務める。 「書はアートたるか、己はアーティストたるか」の命題に挑戦し続け、伝統的な書の技術と前衛的な精神による独自のスタイルは、「書を現代アートまで昇華させた」と国内外で高い評価を得る。2013年、現代美術館において存命書家史上初の快挙となる個展を金沢21世紀美術館にて開催。2012年春の東久邇宮文化褒賞、第1回矢板市市民栄誉賞、第4回手島右卿賞。独立書展特選、独立書人団50周年記念賞(大作賞)、毎日書道展毎日賞(2回)等受賞歴多数。NHK大河ドラマ「風林火山」(2007)、北野武監督映画「アキレスと亀」、角川映画「最後の忠臣蔵」等の題字の他、「九州大学」「九州大学病院」名盤用作品等を揮毫。 NHK「トップランナー」「趣味Do楽 柿沼康二 オレ流 書の冒険」「ようこそ先輩課外授業」「スタジオパークからこんにちは(2回)、MBS「情熱大陸」、日テレ「心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU」、BOSE社TV-CM等に出演。 伝統書から特大筆によるダイナミックな超大作、トランスワークと称される新表現まで、そのパフォーマンス性は幅広く、これまでNYメトロポリタン美術館、ワシントンDCケネディセンター、フィラデルフィア美術館、ロンドン・カウンティーホール、KODO(鼓童)アースセレブレーションなど世界各地で披露され好評を博す。現在、柿沼事務所代表取締役社長兼所属書家。


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