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author : スポンサードリンク| 2017.02.03 Friday | - | -
とにかく動く
この街では、待っていては何も得られない。日本でも同じ事とは思うが・・・・
自分の作品を持って売りこみをした。何十件回ったことだろう。とにかくハコさえあれば良いわけだ。一流のギャラリーだとか場所を選んでいられなかったし、プライドとか見栄などは自分の中で消え去っていた。ぺーぺーからやり直すことが大切だ。頼れるのは自分だけであると確信する。

何件か当たりが出た。その中でジャパニーズ・レストラン&ギャラリー・スペースを持つKABUKIのオーナー・NITOUさんと話をつける。

NITOUさんの協力のお陰で6月27日からの開催が決定した。そんな折、以前ジャパン・ソサイアティーで知り合ったアート・コンサルタントの須々田美和さんが全面協力してくれることとなる。次から次次へと仲間の協力を得た。涙が出るほどの友情を感じた。

日本ではすべてが金と人頼みの細かい仕事を全部自分で計画し実行しなければならない。
何とか展覧会に漕ぎ着けそうな気配を感じる。
author : 柿沼康二| 1998.06.28 Sunday 14:23 | - | -
書の海外性についての私考
(財)独立書人団 研究収録より
書の海外性についての私考

1年間のNY留学中、個展を開いた。以後勝手な考えを述べます。

  (海外ウケ)

箔をつけるため海外展を開き日本で賞賛を得るパターンが目に付く。受けを狙い無理に形を壊したり、色をつけて誤魔化したりする展覧会が多い。
実際は、一定の価値観が存在しないため、これが受ける、あれが受けるということは言い難い。大切なのは、作品に美が存在するか否かである。また、売れるアーティストは優れているという傾向が強いが、それでよいものか?
 
 (理想と現実)

NYには日系のギャラリーや総合ミュージアムも多く、ただでさえアートに関心が深い上、日本文化に精通している外国人が多い。NY近代美術館やジャパンソサイアティー、正式なギャラリー(レンタルでない)で大々的に展覧会を開くことが本当の書の国際性に繋がると思う。しかし、プロポーサルの方法は個人レベルでは非常に難しい。

  (テーマ)

作品、且つ展覧会を通してのテーマを持つことは国内外問わず重要である。
 
 (外国人の誤解)

文字を使いデザインするカリグラフィーとの違いが分らない。時間性に関わる流れを感情移入できない。よって書はデザインや絵のようなものとしてしか受け入れられていない。漢字の多さや三要素(形・音・義)書風の多様性や規範性に驚く。日本の書と中国の書の違いが分らない。(中国書の物まねと思っている)

  (書道の体系化)

書の分らない外国人や未だに書を第二芸術と思っている人達に分りやすく正確に書の歴史や教育的意義を伝えねばならない。これは、ギャラリーやミュージアムへのプロポーサルに不可欠。

  (環境)

街中にアートが氾濫し人々の関心が高い。作品が良いかどうか、何ができるかが問題であり年齢や肩書きは通用しない。良いものは何でも取り入れる開拓スピリッツと駄目なもの無駄なものは消え去るといった真の弱肉強食の世界。

  (言葉)

随分英語に苦しんだ。芸術や文化論ともなると存在しない言葉や概念がある。展覧会などの際、できれば作品や書的概念を説明したりして自分独自の考えをストレートに伝えたい。

  (コンピューター)

現在はスピードの世界である。「そんな物は、、」といっていられない時代になった。E−MAILやホームページで海外とアクセスするのはむしろ自然なこととなりつつある。書の海外性にも不可欠である。とにかく何もかも合理的で速い!

  (書籍の翻訳)

英語版の著書が少ない。書の項目をインターネットで調べると検索に引っかからない。論分や啓蒙書を翻訳し公開する必要がある。意外に海外の書道研究者の論文に良いものがある。(インターネットで検索可)

  (視覚効果)

書の制作を考えたときまさに時間芸術である。外国人に関わらず日本人でさえ制作風景を見たことが無いわけである。展覧会の際にデモンストレーションなどのビジュアル効果をプログラムに盛り込むのは効果的である。

  (コンペティション)

海外の博覧会やアートフェスティバルにどんどん参加しなくてはならないと思う。

書が芸術であるなら海外性という考えが当然出てくる。しかし書の国際性ははたしてあるのか? 必要なことか? と冷静に考えてしまうのはなぜか? 戦後、書は一時的に海外で賞賛を得た。しかしそれを発展させてはいない。もう一度、「書の国際性とは何か?」と真剣に問い直さなければ、単なる海外への憧れで終わるか、過去の栄光にすがりついているだけである。。作家にっとてまず何より良い作品を作ることが大切である。が、もし今後海外性を求めるのならば、相当の精進が必要である。

たくさんの人達にお世話になりました。このような機会を与えてくださった師や独立の先生方、黄田社の仲間、友人そして家族に心より感謝いたします。

author : 柿沼康二| 1998.06.27 Saturday 14:26 | - | -
個展初日レセプションパーティー
たくさんの人が集まった。いよいよデモンストレーションの始まりだ。
照明を落とし、まずは三味線奏者HIDEYOSIの出番。琉球のせつない恋歌を披露し、その歌の歌詞を濃墨で立体的に表現してみた。三味線がフェードアウトすると同時にDJ HYOEIのサウンドがフェードインする。ベースとなったのはドイツのアレック・エンパイアのノイズを多用した曲。(とても音楽とは言いがたい前衛的サウンド)そこに先ほどの三味線の音をかぶせる。相当に書と音楽との調和性をとても注意した。単なるBGMとしての音では意味がないと思ったからである。洋楽に三味線の音をクロスさせる事で見事に西洋から東洋の次元へと空間を創り出せたと思う。
10分あまり経過し、いよいよ山である。「熱」の一文字淡墨で書いた。最初の表現がどこか牧歌的なものだったので激しく強く前衛的なものを書きたかった。書き終わると同時に音が消え去り、そのままパーティーへと移行した。

英語でのスピーチの途中、涙があふれ出た。

自分が日本人であることを強く感じた。
author : 柿沼康二| 1998.06.27 Saturday 14:25 | - | -
前日夜から朝
会場準備が始まったのは夜10時過ぎの事だった。
メンツはMIWA(ART CONSALTANT),HYOEI(デモンストレーションで共演するDJ),ERIKO
(HYOUEI’S GIRLFRIEND),KEN(JAZZ DRAMER),YUSUKE(HAIRCUT DESIGNER),DAISUKE(UNIVERSITY STUDENT),KOJI(MY LONGEST FRIEND IN NYC)CHRISTPHER WRIGHT(MY FRIEND FROM VERGINIA)、HIDEYOSHI(デモンストレーションで共演する三味線奏者)

みんなに感謝・感謝!!!

ワイワイ・ガヤガヤ・ヘトヘトってな感じで朝の4時までかかった。
次の日が不安だった。

とても疲れた1日だった。   
author : 柿沼康二| 1998.06.27 Saturday 14:24 | - | -
紀伊国屋NY
なんと紀伊国屋NYが後援をしてくれることになった。通常、個人的な後援を避けているそうだが支配人の市橋さんと(財)独立書人団会員の大日向桂淑さんが知り合いであったため特別の後援を得ることとなった。とは言ってもまずは手紙を書き作品を持参し直に見てもらった。紀伊国屋の場所はフィフス・アベニューの49番街という世界で一番地価が高いといわれるところである。それもロックフェラー・センターのスケートリンクに面している。世界最高の場所に自分の作品があり、ロックフェラー・センターを見上げているわけだ。

店に飾った翌日、市橋さんから電話があった。
作品を飾った後、すぐに何人ものアメリカ人が作品に興味を持ち尋ねてきたらしい。
一緒にビジネスをすることになった。
とてもうれしかった。
author : 柿沼康二| 1998.06.27 Saturday 14:24 | - | -
お先真っ暗
それからすぐに他のギャラリーへのプロポーサルがはじまった。本当はこれが最初にくるはずだったが・・・・    
上手い話に乗ってしまった自分を反省した。

さんざん苦労したが、最悪の結果に終わる。日本と海外の壁をいやと言うほど味わった気がした。それと同時に、自分を責めた。

4月上旬、親友のTAKA(日本人工業デザイナー)とオリビアがNYを離れる。

このころから対人恐怖症気味になった。

一ヶ月あまり部屋に閉じこもり酒に溺れた。

誰も信用できなくなった。

一人になった。 
author : 柿沼康二| 1998.06.27 Saturday 14:23 | - | -
事件
オリビアがハコを見つけ出した。それもなんとMOMA(NY近代美術館)の目の前である。MOMA
にあてつけて物凄い書展を開いてやる友達といきがっていたが内心、話が上手く運びすぎている事に不安を感じていた。
オリビアと私とギャラリーのオーナーとの話し合いの結果、一ヵ月後に開催する事になった。日本人にっとてはとても急な話に思えるだろうが、これがNYのスピードなのだ。
これから一ヵ月の間に作品制作、案内状、パーティーなど準備することを考えるとぞっとした。とにかく急を要した。

大変な事が起こった。

事件は最終の打ち合わせをしていたとき起こった。
話の食い違いで喧嘩になってしまい全てファック・アップ。

Oh! my god!!

って感じだった。

それからが私の本当のアメリカ武者修業の始まりだった。
author : 柿沼康二| 1998.06.27 Saturday 14:22 | - | -
話の発端
ニューヨーク生活が4ヶ月を過ぎたころ、さんざん苦労した英語もうまくしゃべれるようになり生活が落ち着いてきた。この街はアーティストを実によく受け入れる。ましてや書家は希少価値であった。

さてさて問題はその書道である。書とカリグラフィーは混同されやすいが、全く別物である。書は単に文字の形象をデザインするものではない。
ある一面で書は伝統芸能である。紀元前の中国から伝わる漢字が日本に渡来し平仮名や片仮名などを生んだ。その何千年の歳月を通し、たくさんの古典が誕生してきた。書家はそれらを模倣し感覚を鍛え上げる。何万という漢字にはそれぞれに意味(義)があり、音があり、形がある。スタイルをとっても楷・行・草・篆・隷さまざまである。また、芸術として捉えた場合、空間性
と時間性を共に持つ数少ないアートである。そこに文学性まで関わるとまさに総合芸術なのである。これらを外国人に正確に伝えることは至難の技である。

ここでは世界中の民族が入り混じり宗教や言葉、価値観が日本とはまるで別ものである。しかし、吾が親友のフランス人、オリビアは私の作品を高く評価しながら
こう短刀をつきつけた

If you were a kind of artist, you have to do something here.
What matters is whether or not there is beauty in the work , you know?
The Audience isn't so important whether it is American or not .

(訳)
もし、お前がアーティストなら、ここで活動しなければいけない。
作品に大切な事は美しいか、美しくないかなんだ。
見る人がアメリカ人であろうが無かろうが関係ないんだよ。

いま考えると、書が何たるかを知らないフランス人の強引過ぎるアドバイスであったと思うが彼との出会いが無ければ、何年NYにいても何も出来ず帰国していたことだろう。

かんしゃ かんしゃ

それからハコ(会場)探しが始まった。
author : 柿沼康二| 1998.06.27 Saturday 14:21 | - | -
まえがき
柿沼康二25歳。このころから自分の中で何かが変わり始めた。自分を痛めつけるかのように生きていたそれまでとの決別。毎日賞受賞、独立展大作選抜作家、生活の安定などの要因が自分に問いかけた。

「おまえの夢はこんなことかい?おまえは誰で、何がしたい。いま何かをしなければ、このままつまらない芸術家気取りの馬鹿な書家になるぞ!・・・・・」

いちど僕の体に染み付いた書道界という垢を全部きれいに洗い落としてみたかった。 カッコイイことを言っても所詮肩書きや年功序列という社会のシステムに従わざるを得ない自分がいた。

多くのアーティストが何かを求め、行きつく孤独の街 ニューヨーク。なぜ人はあの街に魅了されるのか?

一人NYに旅立つことにした。

渡米に際しいろいろなことを捨てた。

「行ってみればすべて何とか成る」と思っていた。

「自分に対する肝試し」であったのだと思う。
author : 柿沼康二| 1998.06.27 Saturday 13:51 | - | -
柿沼康二
書家、アーティスト
Koji Kakinuma (c)Douglas Benedict
(c)Douglas Benedict
書家/アーティスト・柿沼康二の芸術観、書道について、アーティスト論、過去の日記などを集めたエッセー集。

柿沼康二(カキヌマコウジ)。書家・書道家・現代美術家。 1970年栃木県矢板市生まれ。5歳より筆を持ち、柿沼翠流(父)、手島右卿(昭和の三筆)、上松一條に師事。東京学芸大学教育学部芸術科(書道)卒業。2006-2007年、米国プリンストン大学客員書家を務める。 「書はアートたるか、己はアーティストたるか」の命題に挑戦し続け、伝統的な書の技術と前衛的な精神による独自のスタイルは、「書を現代アートまで昇華させた」と国内外で高い評価を得る。2013年、現代美術館において存命書家史上初の快挙となる個展を金沢21世紀美術館にて開催。2012年春の東久邇宮文化褒賞、第1回矢板市市民栄誉賞、第4回手島右卿賞。独立書展特選、独立書人団50周年記念賞(大作賞)、毎日書道展毎日賞(2回)等受賞歴多数。NHK大河ドラマ「風林火山」(2007)、北野武監督映画「アキレスと亀」、角川映画「最後の忠臣蔵」等の題字の他、「九州大学」「九州大学病院」名盤用作品等を揮毫。 NHK「トップランナー」「趣味Do楽 柿沼康二 オレ流 書の冒険」「ようこそ先輩課外授業」「スタジオパークからこんにちは(2回)、MBS「情熱大陸」、日テレ「心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU」、BOSE社TV-CM等に出演。 伝統書から特大筆によるダイナミックな超大作、トランスワークと称される新表現まで、そのパフォーマンス性は幅広く、これまでNYメトロポリタン美術館、ワシントンDCケネディセンター、フィラデルフィア美術館、ロンドン・カウンティーホール、KODO(鼓童)アースセレブレーションなど世界各地で披露され好評を博す。現在、柿沼事務所代表取締役社長兼所属書家。


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