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author : スポンサードリンク| 2017.02.03 Friday | - | -
3つのバックボーン
●1つ目は、父親のアトリエ。

私は2代目。父親はプロの書道家である。
家の中は何時も墨の香りが充満しており、毎日のように塾に通ってくる少年少女の活気ある声が満ち溢れていた。
当然のように私もその仲間の1人として1端のプロ書家のように5才の頃から筆わすらをしていた。
同年代の仲間達は次第に筆から離れていきましたが、気がついたら私だけが筆にしがみついていた。
いつの間にか書の持つ神秘感に魅了されていたのである。
自分にとって父親のアトリエは時と共に姿変えていった。
幼い頃、遊び場であったその広いアトリエはやがて自分にとっての書道塾となり、
私が中学生の頃には、父親の真剣勝負の作品制作の場となった。
あたかも格闘場のようなその空間には畏怖の念さえ感じたものだ。
私が大学生となり、本格的に書の道を志すようになると、墨で汚れたそのアトリエは自分にとって特別なものとなった。
駄目になりそうなとき、自分に負けそうになったときアトリエに行き、そっと息を殺し、これまでの自分の生き方を省みたり、親父の生きてきた道を想像したりする。
そこには真摯に生き、そして生き続ける父親の歴史がこびりついている。
私はそこで、日々を告白し、懺悔し、自分はこれからどう生きていくのかと祈るのです。


●2つ目は、ロックンロール。

ロックンロールとは単にロックミュージックを指しているのではない。
激しく切なく、真っ直ぐなロックンロールスピリッツが好きである。
幼少からロックミュージックにのめり込んでいた私は本気で音楽の世界に志そうとした時期もありましたが私の選んだ世界は書の道であった。
作品制作の際、ロックは文房四方の次に重要な道具と化し、リズム、メッセージ性、スピリッツ、ロックンロールを愛するアーティスト達から半端無く力強い生き方を学んだようだ。


●3つ目は町の名山、高原山。

かつて与謝野晶子が「秀麗なる山」と称したという山の麓で生を受け育った。
作品制作の時は、まずロックを聴きながらのランニングでテンションを高める。
振り仰ぐとたおやかな高原山が人生をゆっくりゆっくり進め、そしてくじけるなと励ましてくれます。
田んぼ道を自分のペースで走りながらこれが自分の人生だと自分に言い聞かせている。
子供の頃、家の中に蛍が舞い込んできました。
夏は降るような蝉時雨に包まれます。秋は山々が錦繍に染まり、冬は時折雪冴えてしんしんという音に包まれます。
そんなふるさとの自然が私の体内に残っている。


敬愛する偉大なるアーティストが死の直前残したメッセージ。
私の座右の銘となっている。
近頃やっとその本当の意味がわかりかけてきた気がする。


「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう... 」

author : 柿沼康二| 2001.08.20 Monday 00:00 | - | -
超大作へのロマン
私のスペシャリティーは超大作である。
そしてそのダイナミズムにある。
作品が人体の何十倍にもなる超大作ともなると自然と抽象絵画に近付く。
昨今の抽象絵画における超大作との違いは、
書の重要なメタファーの1つである一回性(重ね塗りが許されない)を
強調することにある。
鍛錬から生み出される線と運動感が一瞬に炸裂し、唯一無二の造形が生み出される。
刹那の中に自分の全身全霊をかける制作風景は「祈り」であり、
「侍」や「修行僧」が業をつむ行為そのものである。


書の持つ伝統と現代芸術の狭間で日々自分が生きた証を表現し、そして告白し、
書でも絵でもない自分の匂いのプンプンする新たなアート摸索している。


「無駄は無駄じゃない」というのが私の信念である。
author : 柿沼康二| 2001.08.20 Monday 00:00 | - | -
SAMURAI
表現された作品は、その時その瞬間の私の生きた証である。
だから、まず納得できない言葉は選べないし、表現できない。
なぜなら、私のアートは遺書のようなものだから。
「侍とは、死ぬ事と見つけたり」(「葉隠」より)
 侍は、常に自分の「死」と向き合いながら生きる。
仁義を守り、自分に真っ正直に生き方を貫く事が最も尊いゴールなのだ。 
もし仁義を破る事があれば、侍は死ぬしかない。死ねなければ侍ではないのだ。
自分の信念を曲げる事があってはならない。

私は現代の「侍」でありたいと願う。
author : 柿沼康二| 2001.08.20 Monday 00:00 | - | -
読める読めないの話ではない
私の芸術上、始めに言葉ありきである。
自分が生きている証として言葉を選び表現する。
これは書の根本原理と同じであるが、
表現した結果が不可読性の美術作品になっても私の美観には矛盾が無い。
古来、言葉がもっていると信じられてきた霊力を「言霊」という。
言葉の持つ霊魂が私に乗り移り、
言葉のみならずそれを超越した意味やイメージを一回性の中で表現し、
己を告白する。
author : 柿沼康二| 2001.08.20 Monday 00:00 | - | -
書家からアーティストへ
書は日本文化の大きな柱である。
しかし、「書は本当に芸術か?」と問われると、「書はアートでもある」
というのが現状である。
そんな曖昧さを払拭すべく、書という枠ギリギリのところで作品制作をしている。
時に私の作品は、アブストラクトアートやパフォーマンスに変貌する。
それは自己の中で「国内」「海外」、「抽象」「具象」、「書」「美術」といった
境界線が見えなくなってきているからなのだろう。
自分の求める美を追求する上でカテゴリーなど意味がないのである。
author : 柿沼康二| 2001.08.20 Monday 00:00 | - | -
柿沼康二
書家、アーティスト
Koji Kakinuma (c)Douglas Benedict
(c)Douglas Benedict
書家/アーティスト・柿沼康二の芸術観、書道について、アーティスト論、過去の日記などを集めたエッセー集。

柿沼康二(カキヌマコウジ)。書家・書道家・現代美術家。 1970年栃木県矢板市生まれ。5歳より筆を持ち、柿沼翠流(父)、手島右卿(昭和の三筆)、上松一條に師事。東京学芸大学教育学部芸術科(書道)卒業。2006-2007年、米国プリンストン大学客員書家を務める。 「書はアートたるか、己はアーティストたるか」の命題に挑戦し続け、伝統的な書の技術と前衛的な精神による独自のスタイルは、「書を現代アートまで昇華させた」と国内外で高い評価を得る。2013年、現代美術館において存命書家史上初の快挙となる個展を金沢21世紀美術館にて開催。2012年春の東久邇宮文化褒賞、第1回矢板市市民栄誉賞、第4回手島右卿賞。独立書展特選、独立書人団50周年記念賞(大作賞)、毎日書道展毎日賞(2回)等受賞歴多数。NHK大河ドラマ「風林火山」(2007)、北野武監督映画「アキレスと亀」、角川映画「最後の忠臣蔵」等の題字の他、「九州大学」「九州大学病院」名盤用作品等を揮毫。 NHK「トップランナー」「趣味Do楽 柿沼康二 オレ流 書の冒険」「ようこそ先輩課外授業」「スタジオパークからこんにちは(2回)、MBS「情熱大陸」、日テレ「心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU」、BOSE社TV-CM等に出演。 伝統書から特大筆によるダイナミックな超大作、トランスワークと称される新表現まで、そのパフォーマンス性は幅広く、これまでNYメトロポリタン美術館、ワシントンDCケネディセンター、フィラデルフィア美術館、ロンドン・カウンティーホール、KODO(鼓童)アースセレブレーションなど世界各地で披露され好評を博す。現在、柿沼事務所代表取締役社長兼所属書家。


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